大人の発達障害に気づいた経緯その3 大学院中退

大学4回生の初めから数か月間、うつで外出できなくなりました。
周囲は就職活動真っ只中ですが、当然ながら私は全くできませんでした。

研究室の教授のおかげで、留年せず卒業できる目途が立ちました。

幸い、成績は悪くなかったため、大学院に進学することにしました。
結果的に、この選択肢は間違っていたことになるのですが。

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大学院の受験対策を始めるが・・・

大学院の入試が始まるまで、ほとんど時間がありませんでした。
にも関わらず私は、外部の大学院を受験することにしたのです。

そのときの私は、とにかく混乱していました。
正しい判断が難しい状態のうえ、視野の狭い・思い込みの激しい性格で勝手に突っ走ってしまいました。

結果、第一志望の大学院には不合格。
それから慌てて、今からでも申し込める大学院を受験し、何とか合格できました。

卒業できても、他に行き先がありません。
冷静に考えることができれば、就職留年なども選択肢がありましたが、視野が狭い私には「合格した大学院に進学する」しか道がないように思えました。

研究ができない

大学院では、周囲はモチベーションが高い学生が多く、入学直後からギャップに苦しみました。

入学後しばらくは、研究よりも授業優先の生活です。
大学生活と変わらないため、比較的穏やかに過ごせていました。

問題は、研究生活が始まってからです。
「教授が研究方針を示してくれた」大学の研究室と違い、進学した大学院の研究室では「周りの先輩・同級生と関わって自分で研究テーマを決める」というスタンスでした。

後で分かりますが、同年代との関わり合いを苦手とする発達障害の方は多いようです。
例に漏れず私も大の苦手で、やる気の出ない私は研究室に行けなくなり、自宅に引きこもるようになりました。

また、研究そのものが難しく感じました。
勉強であれば、問題の解答は本に載っています。
研究は、答えを自分で導き出さなければいけません。
そこに辿り着く道のりも、自分で探さなければなりません。

けっきょく自ら精神科に行きましたが、以前と同様に「うつ」の診断が出て、同じくトレドミンを飲みました。
結局半年くらい通院と薬を続けましたが、良くなる見込みを感じられなかったため、通院を勝手に止めてしまいました。

中退し、実家に帰る

最終的に、2年分の学費を支払った挙句に大学院を中退し、実家に連れ戻されました。

そのとき、両親にはただただ申し訳ない気持ちでした。
それでも温かく受け入れてくれた両親には、今でも感謝しきれません。

この経験から、同年代の人たちと関わることや、何から手を付ければ良いか分からない時にひどく困惑するなど、「自分には、『とても』苦手なことがあるようだ」と感じ始めました。

大学院中退という挫折のおかげで、のちに発達障害という診断が出たとき、それをすんなりと受け入れられたように思います。

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